近年の日本語音声学・音韻論では、東京、大阪などのほとんどの日本語の方言は、「モーラ言語」と呼ばれていて、それが定説になっています。いわゆる拍=モーラとみなし、それが基本単位になっている言語です。小さい文字を除けば、ほぼひらがな1文字=1拍=1モーラと考えていいでしょう。これが定説です。「にほんご」なら「に・ほ・ん・ご」で4拍=4モーラと見なされるのが一般的です。例えば「に」なら、さらに/n/と/i/という「音素」に分けられますが、日本語母語話者の感覚では普通はこの2つを分けません。/ni/で1つとして扱います。これをここでは「基本単位」と呼びます。日本語ではこの「モーラ」とみんなが呼んでいるものを、基本単位として組み合わせて単語を作ります。

 一方、英語、韓国語、中国語など、おそらく日本語以外の全ての言語は、「音節言語」と呼ばれていると思います。「音節」という単位が基本単位となって、音節を組み合わせて単語を作ります。一般的に、「モーラ」というのは「音節」の下位区分として使われます。例えば、/n/や/i/はモーラの下位区分である「音素」で、1つ以上の音素を組み合わせた/ni/が上位区分のモーラです。そのモーラを1つ以上組み合わせると、上位区分の音節になる、という階層的な考え方です。

 ものすごく大雑把に書くと、下の図のようになります。※必ずしも2個ずつグループになるわけではありません。

 ここでまず最初の疑問は、日本語以外に「モーラ言語」は存在するのか?です。もし存在しないのなら、なぜ日本語だけ他の言語と違うのか?です。なぜ日本語がだけがそんなに風変わりなシステムになったのかという説明ができなければ、もしかして日本語を「モーラ言語」と呼ぶことに疑問を持たなければいけない可能性も出てくるのではないでしょうか?

 ここでまず、「モーラ言語」と「モーラリズム言語」を分けたいと思います。日本語はモーラ言語であり、モーラリズム言語でもあると言われますが、本当にそうなのか?ということを、これから考察していこうと思います。

●「モーラ言語」・・・「モーラ」と呼ばれるものを、基本単位とする言語。

●「モーラリズム言語」・・・英語ではmora-timed languagesと呼ばれますが、ここではモーラがリズムに関係している言語とします。

★実は身近な所にあるモーラリズム的な言語

 この説明では、モーラリズム言語とは何なのかわからないでしょう。必ずしもモーラの等時性(各モーラが等間隔)を意味するものでなければ、モーラというか、音節の長さを変えることが単語の区別に関わっている言語ということなら、結構身近な所にあります。

 例えば、一番身近な所では英語です。英語は、stress-timed rhythmという特徴を持っていることは有名で、英語学習をするとこのリズムを散々練習させられるわけですが、このstressを抜きにしても(というかstressのレベルが同じ音節の場合)、各音節が同じ長さではないということは、英語教育であまり注目されていない特徴です。

 例えば、calmとcomeの区別なんかはいい例です。母音の音色も違うのですが、前者は長くて後者は短く、英語ネイティブは母音の音色だけでなく長さも、母音を区別する手がかりにしていると言います(Hillenbrand et al. 2000)。calmとcomeはどちらも1音節ですが(それぞれがいくつのモーラかは、要検討です)、音節の長さを変えることが、単語の区別に役立っているので、実は英語にはモーラリズム的な性格があると言えると思います。ここが英語教育で注目されないどころか、「英語には母音の長さは関係ない」という方が強調されているのは残念です。※確かに日本人は間違った方法で英語の母音の長さを変える傾向が強いので、それを防止するために「長さは関係ない」と教えるのだと思いますが、本当は「長さを正しく使いましょう」と言った方が良いでしょう(あな読み参照)。誤解の無いように加えておくと、英語ではstressが多くの日本人(以前の僕も含む)が思っているより遥かに大きな役割を担っていて、stress/foot-timed rhythmの傾向が強いことに疑いの余地はありません(ただし実際の発話では各footが全く同じ長さになるわけではなく、色々な要素があるので、本当の意味でのstress/foot-timedかは要検討→御園 (2009) 参照)。それをベースにしつつ、それに加えて、mora-timedの要素もあるということです。決して「stress-timedではなくmora-timedだ」と言っているのではありません。

 次に、地理的にも非常に日本に近く日本人に身近な言語は、プサンの韓国語です。例えばnun (눈)は、長いと「雪」、短いと「目」という意味になります。でもどちらも1音節というところがポイントです。※これは実はトーンの区別で、長さは二次的なものという考え方もあるようです。長いnunと短いnunがそれぞれいくつのモーラかはまた検討するとして、音節の長さを変えていて、それが単語の区別に役立っているので、モーラリズム的な性格があると言えるでしょう。

 また、有名な言語では、アラビア語に母音の長さの区別あることも有名です。同じように、音節の長さを変えていて、それが単語の区別に役立っているので、モーラリズム的な性格があると言えるでしょう。

 このようにモーラリズム的な性格を持っている言語(音節の長さが単語の区別に関わっている言語)は、結構身近な所にあります。

★モーラを基本単位とする言語

 一方で「モーラ言語」というか、モーラを基本単位とする言語となると、話は別です。まず面白いのは、東京の日本語は、「モーラ」と「音節」の二段構えとするのが、一番ポピュラーな説となっています。

 例えば先ほどの「にほんご」は、「に・ほ・ん・ご」と4モーラですが、「ん」「ー」「っ」、場合によっては母音の後の「い」は1音節とはカウントせず、「に・ほん・ご」で3音節、とするのが、現在音声学者、音韻論者の間で最もポピュラーな説です。確かにこの説を支持する証拠はあります。

 とは言っても、僕を含む東京の日本語の母語話者からすると、「に・ほん・ご」という分け方はどうも違和感が有り、どちらかといえば、中国人のうちの妻の日本語や、もうすぐ2歳でまだ言葉がおぼつかないうちの息子の日本語、というイメージです。確かにこの2人は、単語を区切らせるとそういう区切り方をしますしかも、「に」「ほん」「ご」が等間隔なのですしかしもう5歳になる姪は、普通に大人のように「に・ほ・ん・ご」と分けます。こちらが普通だと言います。だからこの、モーラと音節の二段構造には懐疑的な人も少なくないようです。

 ある音韻論者は、「確かに日本人に「に・ほん・ご」と分けるという感覚は無いかもしれないが、「音節」というのは抽象的な概念ではないか」と言っていました。ただここでひっかかるのは「抽象的だけど存在しているもの」と「単に存在していないもの」の違いです。

 そして何より僕が一番ひっかかるのは、他の言語では、母語話者が1単位だと認識している基本単位を音節としているのに、日本語の音節だけは、母語話者の基本単位1単位とはことなるものになっていることです。この僕の疑問に、ちゃんと答えてくれた人は、今の所まだいません。

 金田一春彦(1989)のような伝統的な国語学では、もっと単純に、小さい文字を除けば、ほぼひらがな1文字=1拍=1音節=1基本単位という考え方です。日本語教育でも、この考え方を採用している人もいるようです。例えば、国士舘大学で勤務している時にお会いした岩佐先生です。

 もう一つ大きな議論を呼んでいるのが、ラブリューン先生という方の「日本語に音節は必要なく、モーラだけで充分だ」という説です。(Labrune 2012)

 金田一先生も、ラブリューン先生も、どちらもこのポピュラーな「モーラと音節の二段構造」を取らないというとこで共通しています。一段構造で充分だということです。違いは、その「基本単位」を「音節」と呼ぶのか「モーラ」と呼ぶのかだけと言ってもいいかもしれません。(このネーミングに、僕は少しこだわりたいと思いますが。)

 さてもう一つ、大阪弁に関してですが、面白いことに、大阪弁では「モーラだけでよい。音節とモーラという二段構造は必要ない」という考え方が、ポピュラーなようです。

 ここで僕の疑問は、大阪弁は元々一段構造でよいのなら、わざわざ「モーラ言語」などという呼び方をせず、普通に「音節言語」で何も問題は無いのではないか?ということです。

 日本語を研究している音声学者や音韻論者の多くがひっかかっているのが、「ん」や「っ」などの扱いだと思いますが、少なくとも大阪弁では、これらは「音節主音の子音」(母音がなくても、子音だけで1音節になれるもの)で何も問題ない気がするのですがどうでしょうか。「ん」のような音節主音の鼻音は、地理的にも身近な所では、上海語や広東語にあります。例えば上海語のdanは、nで1音節なので、da.nで2音節と扱っていますが、それなら大阪弁の「ん」も同じように1音節で良いのではないでしょうか?(それとも逆に、上海語や広東語などのように、nなどの鼻音だけで1単位とカウントするような言語を「モーラ言語」と呼ぶ、と定義する手もあるかもしれません。)

 上海語のdanを聞いてみて下さい。→ 上海語のdan

 一方、なぜ日本の言語学者達の多くは、大阪弁を「音節言語」と呼ぶことに抵抗があり、「モーラ言語」と呼びたいのか、心当たりはあります。なぜなら僕も昔はそう考えていたからです。

 伸ばす母音に関しては、次回お話しします。

まとめると、以下の3つの説があるとします。

● 「拍=モーラ、加えて上位区分の音節という二段構造」説 例「に・ほん・ご」は3音節4モーラ

● 「拍=モーラ、音節無し」説 例「に・ほ・ん・ご」は4モーラ 音節無し

● 「拍=音節」説 例「に・ほ・ん・ご」は4音節

 僕自身は、昔は一番ポピュラーな「モーラと音節の二段構造」説が大好きで、必死にそれをサポートしようとしていました。しかし、必死にサポートする必要があったのは、やはり周りから疑う声も有り、自分の中でもどこか後ろめたいところがあり、それを必死にかき消そうとしたかったからです。そこでもう少し自分に正直になり、今度は「拍=モーラ、音節無し」説を推すようになり、2018年にはこの説を推す論文も出しました。

 しかし今は、初心に帰って一番シンプルな「拍=音節」説を推しています。つまり「に・ほ・ん・ご」で4音節という考えです。ただし「モーラと音節の二段構造」の兆候は確かに有り、数百年後の日本語では音節構造の組み替えが起こり、文句なしに現在ポピュラーな「ん」「ー」「っ」場合によっては母音の後の「い」は全く1音節とカウントしない体系になっている可能性はある、と考えています。つまり、過去の自分の論文に対して、反論してるというか、矛盾してるというか、二転三転していることになります。(こう考えると、漫画家は長い連載にも関わらず、矛盾をできるだけ抑えていることがすごいと思います。通常なら矛盾があって当然です。)

 このテーマは議論が盛んなので、自分の意見を書いていこうと思います。

次は、長母音の話をします。

※2023年8月22日の音韻論フォーラム、特別企画:日本語の音節・モーラを再考察でも関連した話をしました。

参考文献

Hillenbrand, J. M., Clark, M. J., & Houde, R. A. (2000). Some effects of duration on vowel recognition. The Journal of the Acoustical Society of America108(6), 3013-3022.

Labrune, L. (2012). Questioning the universality of the syllable: evidence from Japanese. Phonology29(1), 113-152.

岩佐靖夫. (2018). 日本語動詞基礎語彙の用法指導に関する一考察: 初級日本語教材 『みんなの日本語 初級 I』 第 4 課~ 25 課の一般動詞を事例として. 応用言語学研究: 明海大学大学院応用言語学研究科紀要, (20), 81-98.

金田一春彦 (1989). 日本語(上). 岩波新書

御園和夫. (2010). 英語は Stress-timed Rhythm の言語か?: Barrowing Rule の効用. 関東学院大学文学部紀要118, 51-78.