※前提として、僕の母方言である東京の日本語の話をします。おそらく鹿児島方言などにはあてはまらないと思いますが、他方言に関してはよく知らないので、触れないでおきます。

 まず結論から言うと、例えば日本語(東京)の「ラーメン」の「ラー」などの伸ばす音は、音韻的には「長母音(/aː/)」と「同じ母音の連続(/aa/)」の中間的な立場だが、限りなく母音連続寄り、というのが僕の考えです。両方の特徴を持っていますが、母音連続的な特徴の方が強いと僕は考えます。

 こう書くと、「そんなことはない。完全に長母音だ。」と言う人もいるかもしれません。「例えば『砂糖屋(サトーヤ)』と『里親(サトオヤ)』のような、有名な長母音と母音連続のミニマルペア(最小対)が有るじゃないか!」と猛抗議したくなるかもしれません。このことも踏まえて、議論を進めたいと思います。

● 長母音的特徴

★母語話者が「伸ばす」と表現する

 僕は「母語話者の感覚」やnative speaker intuitionは大事にしたいと思っています。一般的には、もちろん言語学の科学的な実験によれば、母語話者の感覚が正しくなかったということが証明されることは多々あります。一方で、言語学者の間で常識のような定説になっているものが、言語学を知らない母語話者の感覚と大きく乖離している場合は、言語学者の方に大きなバイアスがある可能性も否定できません。(僕自身に対する戒めでもあります。)それを踏まえた上で、やはり言語学的にどうであれ、「母語話者はこう感じているんだ」という気持ちは受け止める必要があると思います。

 日本語母語話者にとって「前の拍を伸ばす」という感覚があるということは、やはり長母音という感覚があることは否定できないでしょう。

 例えば、大阪の友達が、東京足立区の「きたせんじゅう(北千住)ってとこに行かないといけない」と言った時に、僕は「きたせん『じゅ』。伸ばさない。」と説明したことがあったように、僕自身も「伸ばす」という感覚はあります。

★「ー」の前の拍を入れ替えた場合

 「ラーメン」の「ラ」を、「リ」に入れ替えろと言われた場合、もし「ラー」が母音連続で「ラアメン」だとしたら、1拍目だけ入れ替えるなら「リアメン」となるはずです。しかしこれは違和感を感じる人も多いのではないでしょうか。「リーメン」のように、「ー」の部分の発音も変えた方が自然だと感じると思います。だとすると、長母音だと考えた方が自然です。というか、「リアメン」に違和感があるので、母音連続ではない、という考え方の方がより適切かもしれません

 ただしこれは、文字の影響という可能性も否定できません。例えば「おばあさん」の「ば」を「び」に変えろと言われると、「おびーさん」も「おびあさん」も両方可能な気がしますが、どうでしょうか。もしかしたら、「ラーメン」→「リーメン」、「おばあさん」→「おびあさん」のように、発音よりも文字を1文字入れ替えたものをイメージして、それを読んでいるだけかもしれないので、判断の材料としては弱いかもしれません。

 ただ、日本語母語話者に「おばあさん」の「ば」を「び」に変えろと指示した場合、「おびーさん」と言う人は、より「長母音」という感覚が強い人で、「おびあさん」と言う人は、より「母音連続」として捉えているか、文字情報を重視する人、と言えるかもしれません。実際に実験したことがないので、もしそういう実験が既にあるようでしたら、教えていただけると嬉しいです。

 また、「ー」という文字を使うこと自体が、これが長母音だという証拠じゃないかという議論を、カナダ人の音声学者としたことがあります。確かに伸ばすという感覚はあるかもしれませんが、一方で「ー」という文字は「直前の母音をもう一度繰り返す」という意味だという解釈も可能だと思うので、やはり長母音だという決定打にまではならない気がします。

長くなりそうなので、続きは次のページでお話しします。

1-3. 日本語の長母音は、長母音か母音連続か?その特徴を検証その2

次回『砂糖屋(サトーヤ)』と『里親(サトオヤ)』の話も出てきます。

 

※2023年8月22日の音韻論フォーラム、特別企画:日本語の音節・モーラを再考察でも関連した話をしました。