前回に引き続き、日本語の「ラーメン」の「ラー」が長母音か母音連続かの話をします。(詳しくは前回をご覧ください。)

● 母音連続的特徴

 ★他の言語の長母音は歌で音符1つにあてはめられるが、日本語のは音符2つ

 前回の音節とモーラの話のところで、韓国語のプサン方言のnun (눈)の、長母音と短母音の区別の話をしました。面白いことに、プサン方言母語話者の話によると、歌の時は長母音だろうと短母音だろうと、音符1つに当てはめられます。だから、「歌う時は長母音と短母音の区別ができない」そうです。長母音だからといって、nu-unのように分けて音符2つに当てはめるわけではないということです。一方、1音節で長母音のnunと、2音節で短母音の連続のnu-unが、明確に区別されています。両者は歌の時にも明確に区別されます。nu-unの方は音符2つに当てはめられます

 また、前回英語のcalmとcomeの話もしましたが、こちらは長さと音色の両方を使って区別するので、完全な長母音と短母音の区別ではありませんが、大事なことは母音の長さに関わらず、どちらも音符1つに当てはめるということです。calmの方は長いからcah-ahmみたいに分けて音符2つに当てはめるということはしないわけです。

 こちらのプサン方言と、北米英語のcalmとcomeを、それぞれのネイティブスピーカーにメトロノームに合わせて発音してもらいました(会津大学の허先生と、Perkins先生にお願いしました。)。

 → 韓国語のnun (短), nun (長), nu-un、英語のcalmとcom

 一方日本語は、例えば「いないいないばあっ!」という幼児の番組に「うーたん」というキャラがいて、「うーたん元気元気!」と言うのですが、僕の4歳の姪は、それを1拍ずつ「う・ー・た・ん・げ・ん・き・げ・ん・き」と明確に分けて発音します。4歳でひらがなをちゃんと読めなくても、この拍の感覚は既に出来上がっているように見えます。

 同様に、歌でも、日本語の長母音は音符2つにあてはめられます。上記の英語や韓国語と明確な違いがあります。

 しばしば、「歌では、長母音は音符1つに当てはめられる」という議論がありますが、それはあくまで字余り(歌詞の拍数が、音符の数より多い時)を処理する時のみだということを忘れてはいけません。そっちがメインのように議論されていることもありますが、基本は、長母音は音符2つなのです。

 そして、「字余りを処理する時は、だいたい長音が音符1つに当てはめられるから、長音は1音節だ」と主張するのは、ちょっと弱い議論というか、悪く言えば、どうしてもモーラと音節の二段構造説をサポートしたいための、やや強引な議論だと思います。

 たとえば、「きゃりーぱみゅぱにゅ」さんの名前は、「きゃ・り・ー・ぱ・みゅ・ぱ・みゅ」と7拍ですが、もしも音符が6個しかなかったら、しかもテンポが速かったらどこかの音符1つに歌詞2拍分をあてはめないわけですが、どこにしますか?

 絶対にありないのは「ぱみゅ」の部分を音符1つに当てはめることでしょう。発音できそうもないからです。ローマ字で書くとわかりやすいですが、pamyuの分節音(子音や母音)は、全部でp, a, m, y, uの5個あるわけです。つまり5つの動作をしないといけないということです。これを音符1つに当てはめるのは大変です。「きゃり」の部分も、k, y, a, r, iで同じく5つの分節音ですが、「ぱみゅ」の方がより難しいのは、pとmでどちらも口を閉じるからでしょう。似たような動作が続くと難しい傾向があります。一方「りー」の部分を見ると、riiですが、動作としては r と i の2つだけです。「みゅ」1拍だけでも、m, y, u と3つの動作をしないといけないのに比べて、「りー」は圧倒的に動作が少なくてすみます。

 人間はどうしても無意識に楽な方へ楽な方へ流れてしまうので、5つの動作と2つの動作なら、当然2つの動作を選びます。口の動作が楽だから、長音が含まれる2拍を音符1つに当てはめる傾向がある、というのが、おそらく歌い手の一番の動機であり、「だから『りー』は1音節だ」とまで言えるかというと、そうではないと思います。せめて、「ひとつにまとめやすい」という程度が無難でしょう。

 それよりも問題なのは、上記の「うー」とか「りー」を歌などの時に、明確に「う・ー」「り・ー」と区切って2つ分カウントすることは、むしろ上記のプサンの韓国語のnu-unのように母音連続と同じ振る舞いだということです

 人によっては、「歌や詩の発音は特別だ。普通にしゃべる時はそんな発音はしない。」と、自然な会話の発音だけを見ようとしますが、僕は逆に、歌や詩の時こそ、普段の会話ではあまり表面化しないその言語の特徴が明確に現れるので、むしろ非常によく観察すべきだと考えています。普段の会話だと、早くて全ての音がつながっているので、特徴が聞きづらいことは多々あります。歌や詩ではそういう普段は観察しづらいものが、観察しやすくなる場合が多々あります。なので、僕の中では、歌や詩の時に2つに分けるというのは、母音連続説を推すほぼ決定的な根拠となります。他の言語では、長母音だろうが短母音だろうが、あくまで1つの母音なので、普通はそれを半分に分けたりしないものです。逆に、何の説明もなく「これは歌だから」とただ切り捨てるのは、ちょっと違うかなと思います。

 とにかく、歌や詩の当てはめ方を見ると、日本語の長母音は、母音連続のように振る舞っていると言えます。ただし、もし1音節(その言語の基本単位1つ)で、歌の時に音符2つに当てはめるのがデフォルトだ(字足らずの時のみやむを得ず2つに分ける場合は長母音を選ぶ傾向があるのではなく、日本語のように2つに分けるのが基本)という言語があれば、是非教えて下さい。その時にまた新たな分析をします。

★同じ形態構造の単語で、長母音と母音連続の対立が無い

 前回、「砂糖屋(サトーヤ)」と「里親(サトオヤ)」という、有名な長母音と母音連続のミニマルペア(最小対)があるという話をしました。Vance先生という日本語の音韻論者の方によれば、(おそらくハッキリ発音した場合)「砂糖屋(サトーヤ)」と「里親(サトオヤ)」では発音に違いがあり、「里親」の方は、「里」と「親」の間で一瞬音量が小さくなるそうです。

 ただここでポイントなのは、「砂糖屋」と「里親」は形態素(単語より小さい、意味を持つまとまり)の構造が違うということです。「砂糖 + 屋」と「里 + 親」です。この意味の切れ目をハッキリさせたい場合、例えば「どういう親かというと、里親です」というようにしたい場合、聞き手がハッキリわかるように、「里」と「親」を少し分けて発音することは、コミュニケーションとして自然なことでしょう。

 もしも、意味の切れ目をハッキリさせようとは特に思わなければ、「砂糖屋」と「里親」は、同じ発音になるのではないでしょうか。発音する側は分けているつもりでも、聞く人はどっちがどっちか聞き取れないというレベルだと思います。音韻的な対立は、基本的にはやはり聞く人がハッキリ聞き取れることが大切です。

 逆に、同じ形態構造で、長母音と母音連続の区別はあるでしょうか?僕が思いつく限りではありません。(しかし、もし存在したら、それはすごいことなので、是非教えて下さい。またその時考え直します。)同じ形態構造でのペアが無いなら、言い換えれば、長母音は形態素の切れ目が無いのみ、母音連続は形態素の切れ目がある時のみ現れる、という相補的分布をしている=音韻的な対立が無い、ということになります。

 もうひとつ面白い例を挙げると、JR線の駅のトイレに、「多機能トイレ」というのがありますが、僕はこれを聞いた時、「滝のおトイレ」と言っているのだと本気で思い、滝の流れる素晴らしいトイレを想像しました。音声を聞いて下さい。つまり、教科書のような発音のアナウンスでも、形態素の切れ目はなかなか聞き取れないものです。

多機能トイレの音声

 さらにもうひとつ面白い例を挙げると、日本音韻論学会などでお世話になっている、松浦先生という方が、ご自身のnoteに、名前を「まつーら」と表記されている点です。→松浦先生のnote

 固有名詞なので「松浦」で1形態素なのか、「杉浦」「山浦」「勝浦」などに対する「松浦」なのかは難しいところですが、本人が母音連続と長母音を一緒に扱ってよいと認識されているのだと思います。

 このように、日本語では、母音連続と長母音の違いは、形態素の切れ目が有るか無いかの違いだけで、事実上音韻的な対立は無いと言っていいでしょう。明確に区別があるプサンの韓国語とは明らかに違います

 もう一つ例を加えると、僕は幼稚園の年長か小学校1年生の頃、楽しき農夫」という曲のタイトルを、「楽しきの、オフ」(自分の発音では、「楽しきの」が平板型、「オフ」は頭高型)だと思っていました。もちろん意味は全くわかっていませんでした。漢字も読めなかったので、文字情報を頼りにせず、完全に耳だけを頼りにした結果です。「農」を完全に二つに分けていました。我ながら面白いことをしていたなと思います。

● ここまでのまとめ

 以上のように、日本語のいわゆる伸ばす音は、非常に母音連続の性格が強いと言えます。一方、前回お話ししたように、長母音的要素が全く無いわけではないので、結論は、母音連続と長母音の中間だが、限りなく母音連続に近い、ということになります。

 中国人の副代表との共同研究の結果からも、日本語学習者に日本語を教える時に、「長母音」と「短母音」の区別があると教えると、母語に長短の区別がない人たちにとっては、「同じ母音なのに長さを変えるってどういうことだ?」とものすごく難しく考えてしまうでしょう。「1音節2モーラ」などというと、大変に混乱してしまうようです。ではなくて、英語のthe eveningでeが2つ続くのと同じように、「ラーメン」「チーズ」「スープ」「セーター」「ソース」は、それぞれ単純に「ラアメン」「チイズ」「スウプ」「セエタア」「ソオス」のように、2音節で2回同じ母音を言えばいいだけ、と説明した方が、簡単に理解できるように見えます。

 次回は韻(rhyme)の話をします。

※2023年8月22日の音韻論フォーラム、特別企画:日本語の音節・モーラを再考察でも関連した話をしました。

参考文献

Vance, T. J. (2008). The sounds of Japanese with audio CD. Cambridge University Press.

董炎林・野北明嗣 (2020). 日本人と中国人日本語学習者による日本語の基本単位(拍)の分け方:メトロノームのリズムに合わせて無意味語を拍で区切った場合. 外国語教育研究 (23), 160−172.