日本語の音節とモーラについて語る特別企画を音韻論フォーラム2023で

 毎年、日本音韻論学会(英語名 The Phonological Society of Japan)では8月下旬の平日に、2日〜3日間かけて、音韻論フォーラムという発音系の学会を行なっています。海外の方達もお招きし、韓国の先生方には毎年来ていただいています。今年は8月21日(月)22日(火)です。

コロナが出てきて以来、ここ数年はずっとオンラインで開催していました。しかし今年は久々に対面で行うことになりました。場所は目白大学の新宿キャンパスです。ただ遠方の方達のことも考慮し、同時にオンラインでの発表及び視聴もできるハイブリッド型学会です。私も日本音韻論学会の理事メンバーの1人として、学会の運営に立ち会っていますが、このハイブリッド型がうまくできるのか不安があります。まあ私はテクニカルな部分は行わず全て人任せなので、大丈夫でしょう!

今年のプログラムに関しては、→日本音韻論学会公式サイト

久々の会場での対面式の開催ということで、何か面白いことをやろうということになり、特別企画として、「日本語の音節・モーラを再考察」というプロジェクトを行うことになりました。そもそもの事の始まりは、去年の音韻論フォーラムの後、Zoomでオンライン懇親会をやっている最中に、同じ理事メンバーの1人でありスラヴ諸語の研究をしている、若手の渡部直也先生と冗談で、日本語の音節・モーラについて現在のポピュラーな説について懐疑的な話をしていました。渡部先生もノリの良い人なので、また冗談で音韻論学会の会長である時崎久夫先生に、「会長、来年の音韻論フォーラムの特別企画のトピックが決まりましたよ。」と報告していたのです。もちろんこの時はみんな冗談のつもりだったので、まさか本当にやろうとは思っていませんでした。でも、お酒を飲みながら冗談で話していた企画が実現したというわけです。時崎会長もまた非常にノリの良い方なのと、その去年の経緯もご存知だったので、すぐにOKしていただけました。

特別企画の司会は、その渡部先生。そしてプレゼンテーションの1番手は、音韻論学会の副会長であり、バドミントン好きな那須川訓也先生。テニス好きな私とはラケットスポーツつながりです。エレメント理論に関しては、那須川先生は日本一ではないかという噂もあります。2番手は、目白大学の会場を手配していただいた音韻論フォーラムの縁の下の力持ち、マエリース・サラングル (Maëlys Salingre)先生。サラングル先生にはあな読み4巻にもちょこっと登場していただいています。3番手は私です。

まず司会の渡部先生が、現在ポピュラーな東京の日本語の発音は、モーラ+音節の理論だということを、サラっと話してくれる予定です。つまり「英語の発音」だったら、「え・ー・ご・の・は・つ・お・ん」と8拍=8モーラとし、その上で「えー・ご・の・は・つ・おん」という、「ー」や「ん」や「っ」を前の拍と一括りにする「音節」を作り6音節とする理論です。もはや定説のようになっていますが、東京の日本語の母語話者にはやはり違和感があるのも事実です。

そして1番手の那須川先生が、統率音韻論 (government phonology)の視点から、音節やモーラとは何か?という話をする予定です。統率音韻論 (government phonology)では、あるボスキャラの音があって、その音が他の音にライセンスを与えて存在させてあげる、例えば社長がいて、「君は部長だ。君は課長だ。」と役(ライセンス)を与えて統率してくれるおかげで、部長や課長が存在できる、というような考え方をします。私も勉強させていただきます。

2番手のサラングル先生は、Laurence Labrune先生というフランスの先生が日本語の発音に関してフランス語で書いた論文に関して、日本語で説明してくれる予定です。私を含むフランス語が全くわからない日本人研究者には、フランス語の論文にはアクセスできないので、非常に助かります(※言語学の研究者だから世界の6000とも7000とも言われる言語を全て把握しているわけではないのです!基本は1つ2つの言語を軸に深く研究し、そこから少しずつ幅を広げるスタイルです。どちらかといえば広く浅くではなく、狭く深くが研究者の仕事です)。ただLabrune先生が2012年に英語で書かれた論文は、多くの日本人研究者に読まれていて、しかも上記のポピュラーなモーラ+音節の理論を否定して「日本語はモーラのみでよい。音節はいらない」と主張されており、多くの日本人研究者達から反論されています。私から見るとやや不当に叩かれている部分もあるように見えますが。。。しかしこういう議論が発音の研究を面白くして盛り上げるわけです。

3番手は私です。私自身正直日本語のモーラや音節に関しては色々考えを変え、もともとはモーラ+音節を推していましたが、Labrune先生のモーラのみを推し始め、最近は金田一春彦などのもっと伝統的な国語学の立場で、単純に「拍=音節」という原点に帰っています。Labrune先生と伝統的な国語学の視点は基本的に同じですが、拍を「音節」と呼ぶのか「モーラ」と呼ぶのかの違いがあります。しかしこれは単なるラベルの違いではなく、そのラベルを付けるには、音節やモーラをどうとらえているのかによります。そこで私は、日本語以外の言語ではそもそも「音節」「モーラ」とは何なのか?というそもそも論の話を、私なりの視点からお話しする予定です。また、音韻論というのは、音声をその言語の母語話者がどう認識し、どう解釈するか、というメンタルの問題です。そこが実際の物理的な音を扱う音声学と異なります。全く同じ音でも、母語が違えば認識のしかたも全く違います。A言語の母語話者にとってあたりまえの発想も、B言語の母語話者にはあたりまえではないのです。音韻論者(音韻論の研究者)は、単に「世界の言語を見るとこういう音がメジャーだ」という理論を機械的にあてはめるだけではなく、自分たちも発音練習をして、複数の言語の音をある程度のレベルで認識できるようになり、母語話者の気持ちを理解しようとする姿勢が必要だと思います。A言語の音韻理論をB言語に取り入れるには、どちらの言語の音もある程度のレベルで認識できるようになり、双方の母語話者の気持ちを理解し、共感できるようになる必要があると思います。日本語の音節を説明するのに、外国の音節理論を取り入れるなら、その言語の音節をある程度のレベルで認識できるように発音練習をすることで、また見えてくる世界が変わってくるのではないか。というような話をします。などと、私のような下っ端がなんか偉そうなことを語ってしまうのですが、私自身この点を自分に言い聞かせて、戒めていかないとと思います。これこそがレモンスクールの原点でもありますし。この点は、これから発音の研究者を目指している若い大学生、大学院生達にも心に留めておいてもらいたい点です。論文をたくさん読むのは大事ですが、実技の練習が伴ってこそ、より深く論文を理解できるということです。

これの延長として、アクセント核とストレスを同じように扱うのは、本当に妥当なのかについても語らないといけませんが、今回はここまでは踏み込みません。

ということで、音韻論フォーラム2023を見にきていただければ幸いです。

作者:副代表・野北明嗣

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