モーラ言語は日本語以外に無い?否!モーラとは本当は何か?という原点に帰ってみましょう。
世界には6000とも7000とも言われる言語があるというのに、日本語だけがモーラ言語(しかも鹿児島弁など一部の方言はモーラ方言ではないという)ということはあるのだろうか?日本語だけただ1つの例外か?
それは非常に考えにくいでしょう。そもそも現在日本人の音声学者がモーラと呼んでいるものは、外国人音声学者がモーラと呼んでいるものに相当するのか?私(や海外の音声学者達)は、違うと思っています。
●では実際にモーラの理解のギャップを見てみましょう!
英語のbee, beat, beast, bold, fail, pilotのモーラ数を考えてみましょう!
bedを「ベッド」などとカタカナに変換して3モーラと考えるのではなく、英語そのもののモーラを考えて下さい。
日本人の感覚だと、bedはbe-dで2モーラ、beatは/bi-ː-t/で3モーラ、beastは/bi-ː s-t/で4モーラ、failは/fe-ɪ-l/で3モーラ、pilotは/pa-ɪ-lə-t/で4モーラじゃないでしょうか?しかし、英語ネイティブの音声学者達はそうは考えません。以下の表を見て下さい。
| 英単語 | bed | beat | beast | fail | pilot |
| 日本人の 感覚 | be-d 2モーラ | bi-ː-t 3モーラ | bi-ː-s-t 4モーラ | fe-ɪ-l 3モーラ | pa-ɪ. lə-t 2+2= 4モーラ |
| 日本人以外 の分析 | 2モーラ | 2モーラ | 2モーラ | 3モーラ | 2+1 モーラ |
Hammond (1997), Lavoie & Cohn (1999) and Kehoe & Stoel-Gammon (2001)などによる解釈では、英語のbedは2モーラでいいですが、beatもbeastも2モーラ、でもfailは3モーラ、そしてplotのlotは1モーラです。beastよりもfailの方がモーラ数が多いのです。
さらに、Leonard (2019)のサーニッチ語(北米先住民セイリッシュ語族の言語)の分析では、例えばMOĆET /má.čət/ ‘狙う’という単語は、1音節目の/má/は1モーラがが、2音節目の/čət/は0モーラとしています。日本人なら/čə t/と分けて2モーラにしたい所ですが、/má/の方が/čət/よりモーラ数が多いのです。
これらを見ると、日本人の考えるモーラと、日本人以外の音声学者が考えるモーラが、かなり違っていることがわかりませんか?
●日本人以外の音声学者のモーラの数え方
ではなぜ英語のfailは3モーラなのでしょうか?それは、failが1音節にも2音節にもなるからです。例えば、failと韻を踏むDaleというカナダ人の友人は、名前を呼ばれるとき、/deɪ.əl/と2音節で呼ばれることもあるそうです。一方で、歌では通常failやDaleは音符1つに当てはめられます。このように基本は1単位だが、場合によっては2単位にも扱われるものは3モーラと扱われるわけです。
一方、bed, beat, beastは常に1音節、1単位と扱われこれ以上区切ることができないので3モーラではありません。ではなぜ1モーラではなく2モーラなのか?
フォニックスでいうショート母音、音声学音韻論でいう抑止母音(checked vowel)つまり、/ɪ, e, æ, ʌ, ʊ/後に絶対子音が来るので、後に子音が必要な母音/ɪ, e, æ, ʌ, ʊ/は1モーラ、それ以外の後に子音がなくても良い母音は2モーラということです。なので、例えばlemonのle /le/は、(周辺的な語彙を除いて)基本的には単語の最後に来ないので1モーラ。しかし/bed/のように後に子音がついて単語の最後にも来れるようになったら2モーラ、ということです。
ではなぜpilotのlotが1モーラなのか?lotには強勢(ストレス、アクセント)がないからです。
同様に、サーニッチ語のMOĆET /má.čət/の/čət/が0モーラなのは、/čət/には強勢(ストレス、アクセント)がなく、また母音が/ə/というサーニッチ語の中では弱い振る舞いをする母音だからだそうです。そして/má/は強勢があるので1モーラだそうです。
かなりモーラの考え方は、日本人の考え方と違うのではないでしょうか?モーラという用語は元々西洋の言語学で使われていて、それが日本語にも持ち込まれたわけですが、かなり違う形で持ち込まれてしまった可能性は大いにあるのではないでしょうか。
●モーラ数は聞いて数えられない
モーラは、元々音節(syllable)の重さ、syllable weightを表すために、便宜上音声学者音韻論者が作り出した単位です。耳で聞いて、1モーラ、2モーラと数えることはできません。
ちなみにsyllable weightは日本語で「音節量」と訳されますが、body weightが「体重」と訳されるのだから、本当は「音節重」と訳すべきでしょう。weightとquantityは違うはずです。
例えば、メロンの個数が1個、2個と数えることはできますが、メロンの重さが1kgか2kgか、キログラムは目で見て1つ2つと数えることはできません。

音節の重さを表すモーラは、キログラムに相当します。そして(日本語以外の言語では)音節、つまりsyllableをはっきり聞いて数えられます。つまり音節は、メロンが1個、2個という数に相当します。大きかろうが小さかろうが、メロン1個はメロン1個なのです。
音節について詳しくはこちら → 日本語はモーラ言語ではない!金田一の拍=音節説を再定位
●そもそもsyllable weight、軽音節、重音説とは何なのか?
syllable weightでは、軽い音節、重い音節、という概念があります。そもそもこの重い、軽いが何を指してるのかという大事な定義を、私は日本の音声学者達がらちゃんと習ったことがありません。しかしイメージでは、以下です。
以下が日本人のいう軽音節、重音節、超重音節、超超重音節
★軽音節:1モーラ、日本人が1単位と認識するもの
例)日本語なら「れ」、英語ならlemonのle
★重音節:2モーラ、日本人が2単位と認識するもの
例)日本語なら「おんせいがく」の「おん」、英語ならbee
★超重音節:3モーラ、日本人が3単位と認識するもの
例)日本語なら「シーン」、英語ならbest
★超超重音節(という言い方をするかわかりませんが):4モーラ、日本人が4単位と認識するもの
例)日本語なら「ぴょーんって飛ぶ」の「ぴょーんっ」、英語ならnext
一方、日本人以外の言語学者が言う軽音節、重音節は絶対1単位、超重音節も基本は1単位と母語話者に認識されるものです。
しかし同じ1単位でも、より発音や認識に労力がかかるものが、より重い音節ということでしょう。
例えば日本語なら、「あ」「ま」「みゃ」、全て同じ1単位と認識されますが、「あ」よりも「ま」、「ま」よりも「みゃ」の方がより発音に労力がかかります。
例えば「ミャクミャク」は言いにくいですが、「マクマク」の方が楽に言えますし、「アクアク」ならもっと楽でしょう。「アクアク」が一番速く言え、「ミャクミャク」が一番速く言うのが難しいです。しかし、「アクアク」も「マクマク」も「ミャクミャク」も全て同じ4単位、4拍とカウントされます。
つまり、「ミャ」は重く、「マ」はそれより軽く、「ア」はもっと軽い、ということです。
ここで、「syllable weightにオンセットは関係ないから、ミャとマとアは同じ重さのはずだ!」と反論したくなるかもしれませんが、実際はそう単純でもないようです。
本来の西洋の言語学でいう音節の重さ、syllable weightとは、このように母語話者が同じ1単位と認識するものだが、より労力がかかるものが重い音節、だったはずです。
●モーラを整数にするのは単純化しすぎているのでは?
英語のbeeなどの/iː/も、voiceなどの/ɔɪ/も、同じ2モーラの母音と言われます。
日本人の感覚だと、「い、い」「お、い」のようにどちらも2単位と認識されるので、これらが2モーラということに何も疑いは持たないでしょう。
しかし、本来の英語音声学の考え方では、簡単に言うと前述のように、/iː/と/ɔɪ/は単語の最後に来れるので2モーラということになります。
では、/iː/と/ɔɪ/が同じ重さ、同じ振る舞いなのかというと、そうではありません。
★/iː/は、happyのy、pianoのiのように強勢(ストレス、アクセント)が無い所にも来れる。/ɔɪ/はboy, voiceのように、強勢のある所にしか来れない。
★/iː/の後に続くコーダの子音は、英語のコーダとして可能なものなら、(おそらく/r/と/ŋ/以外)何でも来れる。例、seen, seem, seed, seat, sieve, seize, seekなどなど。しかし/ɔɪ/の後にコーダになれる子音は限られている。
つまり、/ɔɪ/の方がより制約が多い(発音されることが好まれない)ということです。
★/iː/よりも/ɔɪ/の方がたくさん口を動かさなければならず、より労力がかかる。
HUNTER×HUNTERの念のように、制約と誓約でより/ɔɪ/の方が強力なわけですね。
つまり、実際には/ɔɪ/の方が/iː/よりも重いということです。だからどちらの2モーラの母音と扱うのは、かなり単純化されているわけです。
実際は例えば/iː/は1.6モーラ、/ɔɪ/は2.4モーラくらいかもしれません。でも四捨五入したらどちらも2モーラなので、同じくくりになっています。
このように音節の重さは、整数で表せるような単純なものではありません。
●「モーラ」と「音節」の日本人と日本人以外のギャップ
以下が日本人の考える日本語のモーラと音節です。
★モーラ:モーラ=拍。日本人が1単位と認識する日本語の基本単位。歌では音符1つにあてはめられる。俳句などの詩で1単位として扱われる。※別な言語話者は必ずしも日本語の拍を1単位と認識できるわけではない。
★音節:ほぼピッチアクセントのパターンを説明するために、音声学者が便宜上使うツール。音節数は研究者によって数え方が異なる場合がある。日本人は必ずしも音節の数を聞くことができない。
以下は日本人以外が考える日本語以外の言語の音節とモーラです。
★音節:母語話者が1単位と認識するその言語の基本単位。歌では音符1つにあてはめられる。詩で1単位として扱われる。※別な言語話者は必ずしもその言語の音節を1単位と認識できるわけではない。
★モーラ:音節の振る舞いの違いを説明するために、音声学者が便宜上使うツール。モーラ数は研究者によって数え方が異なる場合がある。母語話者はモーラの数を聞くことができない。
以上を見ると、どう見ても、日本人が「モーラ」と呼んでいるものは、日本語以外の言語の「音節(syllable)」に相当します。実際肥爪 (2019)によれば、元々は拍=音節と扱われていたので、「お、ん、せ、い、が、く」はそのまま日本人の感覚通り「6音節」と扱われていました。金田一(1989)、前田(2003)、秋永(2009)などは比較的最近の文献ですが、「お、ん、せ、い、が、く」を「6音節」と扱ってます。
しかしどうしても「ん」や「っ」を1音節と扱うのには違和感がある、という方も少なくないでしょう。その気持ちはよくわかります。そんな方は、是非ともこちらの記事をお読み下さい。
●これができないと「モーラ」を一生理解できない
結局モーラ、音節を含む音韻的な解釈は、ある程度のレベルでその該当の音を発音でき、聞くことができないと、教科書や論文をいくら読んでもわからないのです。実際私もそうでした。
野球で、カーブ、スライダー、フォーク、などと言った球種(人間が考えたカテゴリー)を、いくら教科書や論文で読んでも、実際にそれらの球を見て直感的に「今のはスライダーだ」と見分けることができなかったら、結局本当にこれらの変化球を理解はできていないのと同じです。見えないものを想像に頼って議論するしかありません。
日本語以外の言語の言語を1つ、できたら2つ以上で、音節をある程度安定して聞き分け、発音できる(ネイティブレベルでなくても良い)ことができないと、モーラが何だかは絶対にわからないと私は強く思います。
例えば、日本人に最も身近な言語である英語の、lemonのleも、bedも、beatも、beastも、全て1単位と認識できないと、モーラが何だかはわからないものなのです。
bestは、be-s-tで3モーラ、nextはne-k-s-tで4モーラ、と感じているうちは、モーラが一体何だか、わからないのです。私もそうでした。
中国語でも、例えば「妈妈」māmaは、1音節目のmāは日本人には2単位に感じるので2モーラ、軽声のmaは日本人には1単位に感じられるので1モーラ、という人もいますが、そうではありません。中国人の音声学者が考える中国語のモーラは全く別です。māもmaも1単位と認識できるようにならないと、モーラが何だがわからないのですね。
実際私がこれをある程度のレベルでできるようになって、モーラ、音節に対する考え方がガラリと変わったので、間違いありません。今まで聞こえなかったものが聞こえると、世界が変わります。やはり、論より証拠なんですよね。モーラや音節について知りたかったら、絶対に実技の練習をして下さい。絶対できます!
できる!できる!君ならできる!僕は本気で信じてる!(松岡修造のHOT NO LIMITより)
●現在の音声学音韻論の通説
音声学、音韻論系の学会では、現在はパッと見9割くらいの研究者が、日本語をモーラ言語と扱い、例えば「おんせいがく」を6モーラ4音節/oN.seR.ga.ku/ (N=ん、R=伸ばす音、ピリオド=音節の切れ目)と扱っています。一方で、現在でもそうは考えない研究者も少数派ですが存在します。前述の通りです。
日本音韻論学会の現会長である那須川訓也先生と、音節モーラについて実際に語らせていただいたことがあり、2023年の音韻論フォーラムの特別企画で私も那須川先生やSalingre先生と発表させていただいたのですが、那須川先生は音節やモーラという用語は使いませんが、「おんせいがく」を日本人の感覚通り「お、ん、せ、い、が、く」と区切り、その上の階層で「おん、せい、が、く」とまとめることはしません。根本的な部分は前述の金田一春彦などの国語学者達と同じ発想です。
やや異色で有名な説は、Laurence Labrune先生という方のモーラonly説です。Labrune先生は「おんせいがく」を、やはり日本人の感覚通り「お、ん、せ、い、が、く」と6つに区切り、その上の階層で「おん、せい、が、く」とまとめることはしません。ここまでは前述の国語学者達と同じです。
唯一違うのは、Labrune先生は「おんせいがく」を6音節ではなく6モーラと扱い、「日本語には音節は無い。音節は全ての言語に有るユニバーサルなものではない。」としていることです。これは「音節」「モーラ」という単なるラベルの違いではなく、日本語の拍を、他言語の音節と同等のものと扱うのか、他言語の音節より小さいものと扱うか、という重大な点が異なっているということです。
なぜ、拍を音節と扱いたがらない研究者が多いかは、「金田一の拍=音節説」の記事で書いてますが、私は「ん」も「っ」も音節と扱っていいと思います。日本語の「ん」と、英語のsunのnは、明らかに別物ですからね。ただし、「ん」や「っ」は母音がない音節、音節主音の子音なので、労力はかなり小さい、軽い音節ということです。とは言っても、Labrune先生の研究からは非常に学べる部分が多いので、それはこれから書いていきたいと思います。
●モーラ言語は日本語以外には無いのか?
肝心の結論ですが、
多くの日本人が「モーラ」と呼んでいるものは、実は他言語の「音節」に相当する。
↓
よって、日本語はモーラ言語ではない。
↓
「日本語だけがモーラ言語」ということはない。日本語も他言語と同じ。
参考文献
秋永一枝 2009『日本語音韻史・アクセント史論』東京: 笠間書院.
秋永一枝 2009『日本語音韻史・アクセント史論』東京: 笠間書院.
金田一春彦 1989『日本語(上)』東京:岩波新書.
前田正人 2003『国語音韻論の構想』東京: 和泉書院.
肥爪周二 2019 『日本語音節構造史の研究』東京:汲古書院
Hammond, Michael. 1997. Vowel Quantity and Syllabification in English. Language 73(1).1–17.
Kehoe, Margaret M., and Carol Stoel-Gammon. 2001. Development of syllable structure in English-speaking children with particular reference to rhymes. Journal of child language 28(2).393–432.
Labrune, Laurence. 2012. Questioning the universality of the syllable: evidence from Japanese. Phonology 29(1).113–152.
Lavoie, Lisa, and Abigail Cohn. 1999. Sesquisyllables of English: the structure of vowel-liquid syllables. Proceedings of the XIVth international congress of phonetic sciences.109–112.
Leonard, Janet. 2019. The phonological representation and distribution of vowel in SENĆOŦEN (Saanich). Ph.D. dissertation, University of Victoria.
